2012年8月19日日曜日

とうとう空手だ(1)

 三鷹のグリーンなんとかというアメリカ軍の施設だったか、広大な芝生のエリアに体育館があった。週2回空手道場が開催されていて、師範は全日本で優勝したまじめで小柄な人だった。宴会があってある団体が「型」を披露した。「パッサイ」という。なかなか良かった。中に着物姿で丸坊主の気持ちの悪い男が黙って飲んでいた。6人を相手に、大立ち回りをして、相手の目を指で突いたという噂だった。その頃、三島由紀夫の演武があるというので武道館へ行った。小柄で、動きが小さく、写真で見るよりも貧弱な感じがした。三島の演武は確か10月だった、割腹は11月だった。夏休みに自宅の庭に柱を立てて荒縄を巻いてこぶしを鍛錬した。40年前の冬、友人らと飲んで、一人真夜中に歩いて帰る途中、1台の車がゆっくり通り過ぎ、みると千葉ナンバーだった。この地方では珍しい。不意に車は止まった。中から男が二人降りてきて、不意に僕の胸ぐらを掴んで揺さぶった。コートの一番上のボタンが取れた。僕は、「何もしませんからどうぞ許してください」と哀願する姿勢を貫いた。一人が「酔っ払いだ、行こう」と車に戻った。
 「お前ら千葉から何しに来たあやしいな」僕は車に向かって余計なことを言った。すぐに車がバックしてきた。僕は反対側に逃げた。材木が立っている製材所に隠れた。すると一人が追いかけてきた。僕は夢を見ているような気がした。いたぞ、と叫ぶのとコートを掴まれるのが同時で、もう一人もすぐにやってきた。吐く息が白くてばれたのか雪に足跡がついていたのか。
 「いい、俺がやる」「そうか」まるで映画を観ているようだった。僕は向こうが右手で殴ってきたときは、左で払う。腹を殴ってきたらまず蹴りを入れよう。冷静に考えていた。こういうときのために空手を習ったのだ。相手は僕ののど仏をつかんだ。とっさに僕も相手ののど仏をつかんだ。相手は僕を蹴った。僕も相手を蹴った。両方がいったん離れて、相手が柔道部なら掴まれたら終わりだし、ボクシング部ならパンチが来る。すると「すまなかった、送ってやるから車に乗りなよ」という。おかしい話だ。なぜ送るのか、どこへ連れて行くのか。だいいちこの製材所の裏が僕の家なら、こんな話は起きるはずがない。送るなんてどこか橋の上からほうり投げられて終わりだ。

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