2013年5月31日金曜日

馬のこと

獣医の(故)加藤先生は戦争で満洲へ行き
終戦になりソ連に連れて行かれた。
いわゆるシベリア還りである。
その先生は、終戦から1週間さまよって
いるうちに馬が死んだ。
しかし獣医だから馬を解体して、肉を焼き
おにぎりくらいに固めて、ポケットに入れて
かじりながら歩いたそうだ。
熊本の人ながら馬は生では食わない。
したがって馬刺しは食わない。
トキソのせいだと力説されたが、なにか
ほかに理由がありそうだった。

2013年5月30日木曜日

豚肉生姜焼き

豚肉生姜焼の思い出を話そうかな
45年前の武蔵野市吉祥寺
「キッチンカッパ」というしゃれた店があった
お姉さんが岩下志麻に似ていた
弟が二人双子のようで
ハンサム男で27歳くらい
日曜日の吉祥寺の上品なランチは
成蹊大学のケヤキ並木
1000円くらいだったか
こちら1日500円の貧乏生活
バスが30円の4回
昼が学食100円カレー
ショートホープ2箱100円
コーヒ70円と 夜が130円ラーメンだった
帰りに山下清展で
本人からサインをもらった

うし

青草の牧場で
カウボーイの男たちが
ローレンローレン。ローハイド
牛が歩いて西部に
ほこりっぽくて
西部劇という

昭和30年のころ
カレーライスの日
中肉400グラム
肉屋さんに
お買い物にいく

竹の皮を
くるくるとまわし
隅っこを すうっと裂いて
ひもを作って はいどうぞ

2013年5月29日水曜日

食い物・飲み物の話

まずは肉だろう

甘い、やわらかい、ジューシー、
牛、馬、鶏、羊、豚、熊、イノシシ、鯨肉

近江牛、松坂牛、神戸
ステーキのにんにく、すき焼き、真っ白な砂糖
ステーキの大根おろし、焦げ目



2013年5月28日火曜日

困ったことに

困ったことに
行きたくないところに
行かなければならない
ことが多く

困ったことに
会いたくない人に
会わなければならない
ことも多い

困ったことに
行きたいところに行けない
ことが多く

困ったことに
会いたい人に会えない
ことも多い

困ったことに
生きたいときに生きられない
ことが多く

困ったことに
死にたいときに死ねない
ことも多い

人生でしたねえ
はい そうです

2013年5月27日月曜日

巨大な竜巻

とるねーど
野茂選手みたいな

アメリカのオクラホマ
すごい竜巻

風速90メートル
石原裕次郎は
風速40メートルだった

にくいあんちくしょう
あしやからの飛行

ダイナマイトが150トン
ちきしょう恋なんかぶっとばせ

なんですかこれ

2013年5月26日日曜日

棚を作った

ゴーヤと
きゅうりの
つるが伸びてきたので
棚を作りました

スズメが来て
騒いでいる

バラが咲いた
地区の小学生が田植えをしている

これくらいの田舎が
ちょうどいいんじゃないか

ホテルもプールもレストランもある
不意の来客でも対応できるし

2013年5月25日土曜日

佐世保の続編

いろいろ間違っていてすみません
まず旧佐世保無線塔は
ニイタカヤマノボレを送信したとされ
日露戦争ではないのです

久松五勇士の物語
宮古島から石垣島へ5人の漁師が
15時間も小舟を漕ぎ山道を30キロ歩き
八重山郵便局へ到着。那覇郵便局、県庁、
東京の大本営へバルチック艦隊の到来を告げた

佐世保は関係なかった
信濃丸が敵の病院船を発見したことは
有名ですが、40年前に宮古島に旅行した際
記念碑が建っていて
私は感動したのです

昔、佐世保へ行ったことがある

街の中に三浦町教会があり
白い建物がきれいだった
戦争中は空襲で目立つから真っ黒に塗られた
誰かが言っていた
佐世保の駅から港が見える
軍艦が沖を向いて泊まっている
もたもたしないですぐ出発できるように
宮古島の漁師が小さな船で
バルチック艦隊の煙突の煙を発見して
手旗で情報をリレーして
敵艦が日本海に来るか太平洋に回るか見極めた
皇国の興廃、此の一戦にあり、お手柄だった
その電信が佐世保に届き
その鉄塔がこれである
誰かが熱弁をふるっていた
そういう記憶が かすかにある

2013年5月24日金曜日

株は大荒れ

おおい
株が
あがったぞお

おおい下がったぞ
おおい上がったぞ

主役は外国人らしい
6割が外国人だって

1000円も動いて

大荒れ
先物だって

乱高下だって

2013年5月23日木曜日

この頃は

私も
最近
気が長くなって
かあっとなっても
ちょっとまて
気を鎮めて

どうしてそういうことを言うの
じゅんじゅんとサトシテ
その理由を
論理的に
耳をそろえて

聞く余裕を
まったくもっていない わい

2013年5月22日水曜日

ヒマラヤ

ヒマラヤを超える
インドがん

誰かが暇やろ
という

ちがう
ヒマラヤだ

ヒマラヤの上を
飛ぶアネハ鶴の群れ

その山に
三浦雄一郎は零下50度で
きばっている

2013年5月21日火曜日

人生が二度あれば

ジョニー・デブじゃない、デッブのお面
人生が二度あれば
という歌がありました

二度あればやり直しがきくでしょう
しかしきっと
二回やることが当たり前になって

二回頑張って良い方を採用してと
そういうやり方が蔓延するだろう

人生を二回
別のやり方で実施するなんて

しんどいことだ なあ
そうおもいませんか

2013年5月20日月曜日

いつも不思議な

たとえば痛い目に合う
場面を集めた番組で
きちんとカメラが回っている

たとえば魚が
人を噛む珍場面
必ずカメラが回っている
これみんな「やらせ」なのか

しかし大木を伐り倒すシーンで
家に接触するという時
家は、ぎりぎりで無事だったが
倒れた木の反動で
はしごが吹っ飛び
乗っていた男が転落したのは

2013年5月19日日曜日

雨の日曜日

日曜の午後に雨が降り
「ジェシカおばさんの事件簿」を見ながら眠ってしまった。
目が開くと、それは
アガサ・クリスティーの「ミス・マープル」で
「青いゼラニウム」という映像だった。
困ったことだ。こんがらがって。
イギリスの田舎の風景
運命がどっちに転ぶか
エリオットだったかワーズワースだったか

我が家の離れの
床の間の隣の違い棚においてあった
大正時代の金色の置時計
不意にスクリーンにあらわれて
おや、と思って
すぐに50年前に記憶が戻された

2013年5月18日土曜日

引き分けの理由

テレビ囲碁の手合割4子
棋力判定会
小学生の女の子がなかなか強い

そういえば40年前、団地で囲碁を教わった
20人が段ボール箱に折りたたみの碁盤を載せ
私の相手は悔しがりのインテリ老人だった
9目風鈴から始まって1年で白番黒番が逆転した
陣地を囲んで勝ったなと、安心していると
「落下傘部隊だあ」と叫んで、どんどん石を落してくる
老人の鼻息が「フガフガ」いう。今思い出しても楽しい。
これでもか、これでもか、「オッチンダカ」「オッチンダカ」と
叫ぶ。老人は力いっぱい石を打ちつけた、瞬間に
碁盤が箱から落ちてしまった。白黒の石が全部
ガチャガチャになって散らばって
二人に並べなおす棋力はなかったから
その夜は、引き分けになったのだ

暑いねえ

いい言葉ですね
暑いねえ

朝は始まる
午後は雨らしいねえ

昼は始まる
夜は寒いかもしれんね

夕方が終わる
雨が降ってきたな

夜中に向かって
もう四時か

起きてしまうか
朝が始まる

2013年5月16日木曜日

あちこちから

本が送られてきた
著者よ
よく頑張ったと褒めてあげる
難しい漢字を使っている
最初の1行目から感じる
さぞ苦しかっただろうな

1冊はエネルギー政策
1冊は農業経済学
1冊は仏教美術

読後はさわやかな気分
きっと著者も毎日はりきって、
夢中で楽しかっただろう



2013年5月13日月曜日

真夏日

まなつび だって
5月になって 雨が降って
寒くて 灯油入れて
ついでに ストーブも出して
すると
今日は暑くて 暑くて
真夏日だって いうじゃない
この地球は 瞬間湯沸かし器かそれとも
ほどほどというものを知らないのか
なるほど わが車は冷房のスイッチが入り
手足が冷えた
外は暑く 中は冷えて
イカの天ぷらのようだ

2013年5月12日日曜日

ああ気持ちがいい

このごろ感じること

五月の花々が咲いた庭
若葉のもと
蟻が働いている
おだやかで明るく
さわやかな不安のない時間
ああ うれしい
おそらく知らぬままに
長い間蓄積されてきた
得体のしれない
何かからの
解放

2013年5月11日土曜日

雨降りお月さん

我が家の目高
野口雨情作詞・中山晋平作曲 


雨降りお月さん 雲の蔭
お嫁にゆくときゃ 誰とゆく
一人でから傘さしてゆく
から傘ないときゃ 誰とゆく
シャラシャラ シャンシャン 鈴つけた
お馬にゆられて ぬれてゆく

いそがにゃお馬よ 夜が明けよう
手綱の下から チョイと見たりゃ
お袖でお顔を かくしてる
お袖はぬれても 乾しゃかわく
雨降りお月さん 雲の蔭
お馬にゆられて ぬれてゆく

2013年5月9日木曜日

散歩は一人で

散歩は一人で行うスポーツ。

 車の中のきれいな美人は、きっと僕の方を見ているだろう。ちゃうちゃう誰も見てまへんで。
 ラーメン屋は午後2時まで。トッピングの卵は売り切れ。なるほど、看板を見ているのに、僕は自分のことを見ているだろう女性を意識している。 

 前から来たじいさんの自転車と衝突「人は右やろこのあほが」じいさんに怒鳴られ、歩道でも適用するのだろうか。
 あやまりながら助け起こすが、にんにくというより、歯槽膿漏、タバコのヤニで、じいさんは、入れ歯まで落とした。こわい顔。まさに宦官。

 春は福井大学の塀に沿って裁判所、中央公園からお城、九十九橋を越えて帰ってくる。

 学生がいる。小学校の校庭は野球練習。隣では楽しそうなテニスクラブ。街路樹が新芽を吹いている。

 日々の散歩の折に僕はいつも狭い露地を歩いていた。「マルドロールの歌」の一節。ロートレアモンにはいつも参った。
 

 そうだ、犬は飼主に似るといわれる。不思議に思うが、犬の「表情」は確かに飼主に似ている。富山でフレンチ・ブルドッグを連れている夫人を見た。帽子をとると、夫人はフレンチ・ブルドックよりフレンチ・ブルドッグだった。
 
 
 夏の散歩は暑いから午後5時から7時の間。蝉の中。昔の事や、学生の頃ビールを飲んで笑っていたことや、川で遊んだことを思い出す。

 住宅街の一角。庭でバーベキューをしている。子供達がトウモロコシを持って騒いでいる。僕も同じことをやってきた。隣の兄ちゃんは金沢まで行った。先にやっててや。
 かえでの葉が生い茂り、夕日がきらきら光る。頭の中にブラームスが流れてきたり、サンタナのブラック・マジック・ウーマンが聞こえてくる。夏は心の鍵を甘くするわご用心、桜田淳子の声もする。足羽山は犬の散歩が多い。曲がり角の向こうから巨人阪神戦のナイター中継が聞こえることもある。携帯ラジオを鳴らしながら散歩している。
 ホームランが出ると立ち止まるので犬は迷惑だ。夏は元気な人が散歩に出る。打ちました入った入った入ったあ。

 枯葉が落ちる。センチメンタルに。白い便箋に手紙を書く。中指が青いインクで染まっている。誰かさんと誰かさんがミニクーパでデートだ。
 うしろにスヌーピーを乗せて。いいないいな。

 柿の実がなっている。眺めていると、2階からこちらを見ている人が「ピシャリ」と戸を閉める。なにも盗りませんよ。怪しく見えるのか。

 歩いていると突然犬に吠えられる。郵便局の人に聞いた話。長い間カバンは「牛皮」だったが、犬に噛まれるので合成皮革に変えた。
 電気メータを調べる人「ビーフジャーキー」を持っている。吠えられたら、ぽいっとやる。次回からは1回だけワンというよ。
 頂戴という。1回だからワン。ドウもすみまわん。冬の散歩は運動公園。

 木々は寒風にさらされるが、よく見ると新芽が出ている。春の準備をしている。春がくる前にもう雪の下で準備している。春に遅れる新芽など、ない。

 雪の道は歩きづらい。犬は人間が通った場所を選ぶ。信号を待つ間、車の水がかかるので、人も犬も、すこし道路から離れる。田舎の犬はきっと「ばしゃ」と水をかけられるのだろう。

 散歩の途中、犬が向こうからこちらを見ている。秋田犬、それがちょっと尻尾をふって近づいてくる。6百メートルほど離れている。こちらが早めに右へ避けると向こうも早めに向かってくる。
 いやだいやだ。無人の交番へ避難した。するとパトカーがやって来て、「何か用か」。「犬に追われています」。「なぜだ」。「知りまへんがな」。


農と図書

農と図書 ①
 田んぼが一面に拡がっている。荒起こしのトラクタの後ろに数十羽の白い鳥が、ちょこちょこ歩いてミミズを漁っている。鳥の回転
寿司店だ。この季節が過ぎ、みるみる田に水が湛えられ、ツバメが舞い飛ぶ。田植え、五月の連休、遊びに行きたいのに苗箱を洗ったり、鯉のぼりを上げたり、忙がしい季節である。雨が降り、風が吹き、暑い夏になる。害虫駆除、除草剤、農薬散布。台風が襲ってきたり。やがて収穫。コンバインを小屋から出してエンジンをかける。調子がよければあっという間に、稲刈りも終わる。わらは細かく切って田んぼに撒く。野焼きの煙には。独特の慕情がある。しかし洗濯物に煙の匂いが付着するので苦情が出る。 

 わらは、夜なべ仕事で草履、わら縄、筵(むしろ)、かますに変身した。かますには大量の塩が入っていた。味噌や漬物に使われた。工夫して、
お金を使わず生活してきた。なるほど、井戸に水道料金は要らない。米や野菜は買わない。春の山菜、タケノコ、夏の鮎、こんこんと出る湧き水にスイカや瓜を冷やし、キュウリやトマトもおいしかった。秋のキノコ、栗ごはん、祭の柿の葉すし、刺身や焼きサバ。秋刀魚の苦味も美味しかった。冬はボタン鍋。干し柿、あずきを煮て作ったぜんざい、よもぎ餅、ニシンの麹ずし。なにしろ朝暗いうちから起きて、動き回る。流行のメタボ、血糖値、糖尿病の境界値なんてどこにもない。
 
 

 村の男は、キセルを手に、器用に火種を転がし、ヤニで染まった歯に日本手ぬぐい。農機具会社の野球帽をかぶって、みんな無口。ほっそり痩せていた。太い指は節くれ、爪は黒く変形していた、たくさんの荷物を運んできた強い腕を誇っていた。その村人たちがネクタイに革靴で出て行く時は、団体旅行か結婚式くらいだった。待ちに待った温泉旅行の朝、おじいさんが起きて来ないので、見に行くと、ご臨終だった。そういう話をよく聞いた。


 大学図書館には、農業の専門図書が集まっており、坂本慶一、常脇恒一郎、祖田修、偉大な専門家の謦咳に触れることができた。伝統的な農業は、うまく循環している産業で、肥料、食料、人までも土に還る。村の人たちは隣近所に負けないように、真面目に働いてきた。田植は木枠を押して格子のあとを刻んで、手で植えた。汁田といって柔らかい田は足が抜けず、なかなか進まなかった。
 苗を先へ先へと、手で放り投げる。国道沿いの田んぼには都会の車がやってくる。爆音を残して、笑いながら去っていく。「煙草の自動販売機、近くにあらへんか」あの関西弁の若い人も、もう七十歳を越えただろう。子供にとっても稲刈りは、鎌の切れ具合が勝負だ。腰が痛くなる前にうまく立ち上がる。稲架に放り投げると、コースがよければ、さっと取り上げてくれる。草履はサンダルになった。味噌や漬物もビニール袋に入っている。 

 海岸にはなぜあんなに発泡スチロール、プラスチックが打ち寄せられているのか。堆肥になって魚の栄養にならないものか。海へ行くたびにそう
思う。ある教授は、農家に現金が必要な社会が到来することを大変心配し、いくら先祖伝来の美田や畑を相続しても、休日は勤務の疲れで畑へ出なくなる。作物ができないから、共稼ぎの嫁は仕事帰りにスーパーで、米や野菜を買う。
 帰宅しても各自の部屋に入るから、作業の相談もうまくできない。深夜映画を観ると朝はどうしても起きられない、田んぼの水も車からちらっと見る。米の代金は月賦に消える。電気毛布でぐっすり、お湯でシャワーを浴びると小原庄助さんだ。指も柔らかい。
 ブランドネクタイにメッシュの靴。週末はゴルフの打ちっぱなし。子供は都会へ出て帰ってこない。この夫婦も老いて施設に入ることになる。そして時々子供夫婦がやってくると年金を少し渡す。という話を三十年前に予測していた。


 都会へ出た子供たちが年に三万円を払って家庭菜園を借りている。そういう番組を見た。子供の頃、味わった土の感触が忘れられない。
 食べて、飲んで、お金を使う消費生活に飽き飽きしたという。女性歌手がサンダルに半袖で田植えをしている田植機の宣伝があった。
 パラソルに笑顔はホテルのプールサイドと同じ、土には触れずに田植えができるらしかった。  
 実は私は、数年前から堆肥を作っている。機会はあったが、なかなかできなかった。落葉や草を市の指定袋に入れて、せっせとゴミステーションへ運んでいた。ある日、草の袋を半年ほど庭の隅に放置してしまい、つかんだ弾みに破れて中身がこぼれた。
 さらさらした茶殻を乾燥させたような新鮮な土の感触に、はっとした。それ以降、せっせと堆肥作りを楽しんでいる。落葉を積んで山に
する。だんだん調子に乗って郊外の自動精米機から「ぬか」をもらい、これに水をかけビニールシートで覆う。覗いてみると白いカビが生えて、いいにおいがする。
 やがて黒い土が出来上がる。仲の良い綺麗なトカゲの夫婦が住みついた。図鑑では「ニホンカナヘビ」とある。秋の夜はコオロギや鈴虫がリンリンと響く。知人の畑は真っ黒である。本物の牛糞を入れているらしい。ある教授は京大の農場が日本一だと威張る。理由は京大の農場は京都競馬場の馬糞を使っている。なにしろ天皇賞に出馬する最高の馬だと。地方競馬場の近くに、大学が農場を持つことが多かったらしい。日本一の肥料という。私は草が好きだ。草むしりの喜びを知った。
 

 草はそれぞれ性格が異なっている。花の形に似せて、生きているのや、頼りなく見せて根が強いのもいる。しゃがんでいると様々なことが浮かぶ。亡くなった人のこと。浜茶屋で、子供の浮き輪に空気を入れていた同僚。大きなシャチの浮輪。葬式ではその子供が、ずいぶん大きくなっていた。   
 結婚式の記念写真で親戚が、ほとんど亡くなっていることも寂しい。


 政権交代があった。ずっと前の細川政権の新党さきがけ代表だった井出正一氏の趣味は「草むしり」だそうだ。趣味といえば、読書、音楽、囲碁が相場で、「草」は珍しく、いつまでも記憶に残っている。武生市出身の政府税制調査会長故小倉武一先生は、大学図書館に二十五年間、蔵書を寄贈された。農政センター会長室に荷作りに伺うと、炭を運ぶ人形が置かれてあり、しげしげと見ていると「嫁に行った娘さんが、炭を背負って山を降りていくところだ。欲しかったらあげようか」小倉先生は笑っていた。秘書が「いけません、これは昨日、頂いたばかり」とあわてて制止した。
 先生は「炭を焼くのは男、ふもとまで下ろすのは女の仕事なんだ」と。先生は、まもなく他界された。草むしりをしていると不意に過去の断片が現れる。「複合不況」の故宮崎義一先生から蔵書をいただき。ある日、蔵書目録が完成したので連絡すると、珍しく電話口に出られ「やあ大変だったね、ありがとう」明るい声だった。
 数日後、お亡くなりになった。あれが別れの言葉だったのだ。「アーロン収容所で鉄九は震えていた」ビルマへ出征した敦賀連隊「安」兵団の父はぽつんと言った。「鉄九」は泰緬鉄道の「鉄道九連隊」だ。古書店で文献を探してみよう。言葉が出たり消えたり。

 汗もどんどん吹き出る。頭から水をかぶって麦茶を飲む。「そうめん」を力いっぱい食べる。生ショウガをがりがりおろす。やがて、まぶたが重くなり、うとうとする。起きているのか眠っているのか。これが桃源郷なのか。 
 はるか向こうに行かずとも、桃源郷はそうめんの近くに横たわっているのか。しかし、心配事が待っていると、桃源郷は消える。若い時は悩みも多いから、草むしりは年寄り限定の本当の贅沢なのかもしれない。お年寄りに悩みがないわけではない。

  ⑤退職した友人からハガキが届く。「源氏物語」「カラマゾフの兄弟」を最後まで読み、畑を耕すらしい。考えてみれば「姥捨て山」に老人を捨てるのは、生者優先からみればごく自然なことだ。自分の食糧を子孫に残すため、山に入った老人は結構楽しく暮らしたかもしれない。柳田國男全集(筑摩)全33巻を読んでほしい。
 明治33年に農商務省に入り全国農村を歩いた。第2巻に「遠野物語」と「時代ト農政」がある。「田舎対都会の問題」が書かれている。若者が都
会にあこがれるのは仕方ないことだ。「山の人生」「海上の道」など読んでいてはっとさせられる。友人の老後は退屈しないはずだ。東畑精一博士の労作「日本農業発達史」全10巻(中央公論社)は、重要な基本文献、第一巻三章「老農の役割と農業技術の推進」に「長年の体験と見聞」が大切、先覚者がいかに重要か書かれている。小学校の像、二宮金次郎も親孝行で勤勉な人。戦前の「二宮尊徳翁全集」は全6巻からなる。
 戦後農政を牽引した小倉武一氏の著作集第14巻に「舌耕と耕雲」
がある。「農は舌耕に非ず」農業は弁舌ではない。座右に道元禅師の「耕雲」の額があった。「釣月耕雲」は月を釣り雲を耕すことなんてできない、そもそも無理なことを意味するそうだ。四字熟語にしてはどうも理屈が合わないので出典を探した。「永平廣録下」の巻10(金沢文庫)に詩「山居」があった。「瑩月耕雲慕古風」月を磨(みがき)雲を耕すような大きな心。これならよくわかる。禅の世界には「布袋観闘鶏図」など人を楽しませる部分がある。「月を釣る」は面白い構図であり、変化したのだろうか。
 小倉先生の奥様から「耕雲」と刻まれた銀のしおりを頂戴した。菩提寺は敦賀松原、永建寺。農林省入省時に「農政の神様」石黒忠篤(ただあつ)次官が訓示した。「諸君の役所にはパッカードで乗りつけて陳情する者はいない」農民の視線を大切にという意味だ。「石黒忠篤伝」(岩波)がある。

 ⑥石黒の父は文豪森鴎外の上官で陸軍軍医総監石黒忠悳(ただなお)。鴎外の留学中にドイツへ出張してきた。鴎外は通訳を務めるが結局、石黒と一緒に帰朝する。鴎外の日記「還東日乗」に「五日。夕。発伯林。同行者爲石黒軍医監」とある。恋人エリスのことは書いてない。明治21年七月、原文はベルリンが伯林ではなく柏林(岩波鴎外全集第35巻)となっている。鴎外はドイツで長州閥の先輩乃木少将に数回会っている。那須の大地を耕し、鍬をふるう寡黙な軍人は国民的英雄だった。鴎外は明治37年5月26日、第2軍の軍医部長として、第三軍司令官乃木の長男勝典の最期を見届けている。明治天皇は乃木をかばった。
 
 

 西南戦争で軍旗を失い死に場所を求め、粗食で軍服を離さず、息子二人を亡くした老将軍を学習院長に任じたが、天皇の崩御に夫人静子と殉死した。国民は驚愕した。漱石は「こころ」を、鴎外は「興津弥五右衛門の遺書」芥川は「将軍」を発表した。乃木は困っている家を訪ね、仏壇に手を合わせ、借金を代りに始末し去っていく、そういう美談が拡がった。親戚の仏間には、いくつも軍服の写真が並んでいた。戦死した若い息子たちの写真は黒っぽく、表情はぼんやりしていた。
 隣の新しい写真は息子のあとで亡くなった白髪の両親だ。「日露戦争乃木軍絵日記」という本がある。著者は吉野有武氏。大正3年鯖江連隊司令部に勤務し明治37年日露戦争に乃木軍の一員として参加。大正3年発行昭和55年再版(安田書店)された。

 「鐵条網に累々たるは我同胞の骨肉なり」と説明文にある。当時の検閲をくぐりぬけ出版されたと思う。昭和の恐慌や飢饉で娘を売る窓口が役所に設置される。大陸の戦場は拡大するばかり。第一次世界大戦以降、飛行機や戦車や爆弾など兵器は飛躍的に発達する。
 鉄道や映画産業、あらゆるものが戦争へと集約され技術の進歩は大量の犠牲者を生む。空襲は街を壊滅させ、多くの市民や子供たちが犠牲になった。


 鴎外のドレスデン、漱石のロンドン、東京も名古屋も大阪も、広島、長崎も市民を巻き込んだ無差別爆撃で悲惨な廃墟になった。福井にも焼夷弾が降り、残された嫁や老母が懸命に「猫のひたい」ほどの畑を耕し、戦火の下を逃げまどい、夫や兄の帰りを待った。稲刈りの叔母は「米軍のジープがこわかった。田んぼの中央へ這って隠れたが震えが止まらなかった」毎年必ず繰り返した。海で塩水を汲み、道の草を食べて帰ってきた。

たどりつきふりかえりみればやまかはをこえてはこえてきつるものかな」河上肇の歌。河上肇著作集(筑摩)は全12巻、全集(岩波)は全36巻「日本尊農論」「日本農政学」に農業とは何かが書かれている。
 配給の味噌をおまけしてもらい喜び勇んで餅にくるんで食べる。ふるさとの味だと「詩集」に書いてある。56豪雪時、雪下ろしの腰痛で整形外科が繁盛していた。待合室では交通事故に巻き込まれた老人が怒っている。若者に「じじいぼやぼやするな」と言われた。若い時、腕のいい整備士で調整が難しい爆撃機「銀河」のエンジンを担当していた。
 

 白いマフラーの特攻機が翼を振り雲の中に消えていく。どうか敵に遭うまでエンジンが回り続けますようにと祈る。体当たりするための整備を想像できますか。老人はここまで話すと「お静かに」と帰って行った。歴史は活字で引き継がれる。「明治農書全集」13巻には、小学校の頃の風景、田んぼに黒牛がいる。
 「ドイツ農民戦争」は領主と農民の残酷な闘い。一方で、家庭菜園用「そだててあそぼう」シリーズは、ナスやキュウリなどの栽培を学ぶ八十余冊の絵本。近代日本文学では長塚節「土」を再度読みたい。

先人から教わること

◎先人から教わること
 暑い夏、熱風の渦巻く市街、一匹も蚊がいない。息を吸い込む、むうっとなる。熱射病、どんな病気なのか。油断があった。生垣(いけがき)の剪定(せんてい)に夢中になり、四時間、屋外にいた。すると手が弱く震え、気分が急に悪い。はしごからゆっくり下りて額に手をやると冷たい。あわてて風呂で水を浴びる。立ち上がれない。猛烈な吐き気が三度、腹痛も。とにかく気持が悪い。

 胃も痛い、いくら水をかぶっても、自分の背中の位置がよくわからない。
心臓が重い。声がかすれる。倒れこむ。頭から額から、「ぼたぼた」と水が流れる。汗だろうか。氷が溶けるみたい。横になって三十分、ふわっと気温が戻った。テレビは「戦争特集」。ヒトラー、真珠湾、南方派遣軍の将兵。重い荷物を持って行軍する。つらいだろう。

 戦闘帽に日除(ひよ)けの布を垂らしている。幼稚園の帽子に耳垂れの布が付いている。あれだ、あれ。頭の上で巻くインドのターバン、アラビアのロレンスの風呂敷のような布。頭を護(まも)る帽子。
 
 

 子供の頃(ころ)、皮膚を焼かないと馬鹿(ばか)にされた。日焼け大会があり、本ばかり読んで遊ばない私は、青瓢箪(あおびょうたん)と呼ばれ軽蔑(けいべつ)された。生垣の剪定は暑さで中止、樹木の形はゆがんだまま。路面は六十度らしい。ミミズも焦げて焼け石に蝉(せみ)も鳴かず。


◎何が待っているかわからない
 小学校入学から十二年。朝から晩まで国語に社会に数学、理科、英語。古典文法。「せ、し、す、する、すれ、せよ。き、し、しか」。フレミングの法則、勉強の嫌いな生徒にとって、耐えられない日が毎日続く。ああこの苦しみは、いつまで続くのか。悶々(もんもん)と過ごしている児童・生徒を思うとかわいそうで仕方がない。
 中学生の頃(ころ)、有名な番長が私を月曜日の放課後にやっつけるという。友人が知らせに来た。日曜の夜、気分は最悪。思わず「はあー」と長いため息をついた。四十五年も前だがいまだに鮮明だ。
 

 あれほど暗い日は、親の葬式を除いて経験が無い。父はため息が大嫌い。「ため息をつくな、どうした」と叱(しか)る。とうとう、こまかく説明した。「人間、逃げられない時は戦うしかない。必ずチャンスがある、あごを狙え」しかし父よ、言うほど簡単ではないのです。
 
 

 翌朝の学校は、放課後の私のことばかり。いつもはかわいいマドンナさんまで、「あんた今日大変らしいな、ものすごう痛いで」近所のおばさんみたいな口調。誰も助けてくれない。
ぼこぼこにされて子分になる仕組み。午前中の授業はみるみる終わる。いつもより、すごいスピード。給食さえ何を食べたかわからない。おまけに臨時会議で下校時間が早くなるらしい。どういうこっちゃ。
 せめて四時頃まで授業して欲(ほし)しい。「青瓢箪(あおびょうたん)」が、さらに蒼(あお)ざめて下駄箱(げたばこ)へ。
 

 通路に五人立っている。できれば「透明人間」になりたい。やるなら早くやれ、しかし何も起きない。翌日、番長から廊下で呼ばれた。「俺(おれ)の親父とお前の親父は敦賀連隊で戦友だったらしいな」。
 
 

 笑顔の番長に私は混乱した。子供の喧嘩(けんか)に親が出た、いや子供の喧嘩に国が出た。泣く子も黙る大日本帝國陸軍が私を助けてくれたとは。人生は短く、学校は長い。


◎本を読めば役に立つか
 どういう人が教養人なのか。吉田兼好は「徒然草」第1段で「ありたき事は、まことしき文の道、作文・和歌・管絃(かんげん)の道、また有職に公事の方、人の鏡ならんこそいみじかるべけれ。手など拙(つたな)からず走りかき、聲をかしくて拍子とり、いたましうするものから、下戸ならぬこそ男(おのこ)はよけれ。」、すこし引用しました。
 

 この時代のダンディーは物知りで、笛を吹き、酒は少々、和歌もうまい。今も通用する基準ですね。こういう人なら、うまくいくのではないか。鴎外は「春秋左氏傳」、漱石も芥川も漢文の素養があり、近代批評を確立した小林秀雄、作家石川淳は、ともにフランス文学を基本に持っている。何を読めばよいか。
 図書館へ行くと東洋文庫というシリーズがある。
第1巻は砂漠に消えた都市「楼蘭」、ほかに「古今奇観」や「アラビアン・ナイト」「アメリカ彦蔵自伝」「和漢三才図会」や「大津事件日誌」など珍しい
題名が並んでいる。文学全集には、志賀直哉、太宰治、井伏鱒二、吉行淳之介、遠藤周作、安岡章太郎、大江健三郎はわが福井の中野重治を敬愛している。
 若狭の水上勉、丸岡と関係がある開高健、みんな立派な全集がある。鶺古典では、竹取物語、枕草子、義経記、古今和歌集、今昔物語、東海道中膝栗毛、日本霊異記、古今著門集、源氏物語、平家物語。英国のシェークスピア、体力のいるロシア、トルストイ、ドストエフスキー。アメリカなら、へミングウエーかな。しかし、文学作品を読むことは何の役に立つのか。本で読んだ知識の量は多ければ多いほど良いのか。誰でも秋風が吹けば、迫り来る冬を感じることはできます。それでよいが、読書人は「秋風愁雨」という文字がまぶたに浮かぶ。秋の夜長の読書が自分の心を鍛えてくれる。おまけに図書館が無料で貸してくれる。

◎すべては夢のように過ぎて
 地平線のかなた、スペインの向こうは垂直の滝になっている、ごうごうと。宇宙には、そういうことがあるかも知れない。なにしろ宇宙の果ては誰も行った事がない。
 この地球には、私のような変な動物がいるから、どこかの星にも必ず似たものがいるはずだ。それを考えると眠れない。人は漠然とした夢を胸に抱いて生きている。京都の三十三間堂は「蓮華王院」という。
 1164年に後白河上皇が平清盛に造らせた。現在の本堂は鎌倉時代の再建。お堂に十一面千手千眼観音像一千一体がびっしり。
 中央には国宝の千手観音坐像(ざぞう)、左右に五百体ずつ。見た人は圧倒される。このたくさんの観音像には、会いたいと思う相手の顔が必ず
あるそうです。
 亡くなった懐かしい両親はどのあたりか。運動会の昼食にテントの中の両親を捜したことを思い出します。鶺平清盛時代からの年譜がある。鎌倉から、明治、昭和まで、あっという間に時間が流れる。観音さまの中で結婚式を挙げているカップル。ものすごい量の仏様に囲まれ指輪を交換している。仏前結婚式というより仏中結婚式。

 この地上で人は生き、人は死ぬ。鶺般若心経によれば、ここには何もありません、色も無く空です。生も無く死も無く。そういう意味のことを
いっているらしい。そうなれば何も怖くない。理屈はいらない。能、謡曲、茶の湯、書画・骨董(こっとう)、篆刻(てんこく)、一方で西洋事情に詳しい人たち。西洋哲学、歴史や宗教、理科系の天才。医学や天文、宇宙物理研究者。道元や親鸞も偉い。セザンヌ、ピカソ、バッハやベートーベン、モーツァルト。ショパンを忘れるな。柔道や剣道、弓道、銀閣寺や龍安寺の庭も金閣寺も仁和寺も南禅寺も法隆寺も好き。作陶もいいですね。その基礎知識を学校が教えてくれた気がしませんか。安山岩とか粘板岩とか。

◎学校の外で教わること
 山形県酒田の山居倉庫に、ケヤキが植えてある。ケヤキの根が水分を吸って倉庫を乾燥させる。夏は木陰で温度や湿度を管理する。山形県の農村調査を行った故鎌形勲博士がそのすばらしさを教えてくれた。調査の結果「東短西寿南病北福」という御札(おふだ)が各家の神棚から出てきた、これは枕の位置を知らせる秘密の紙切れではないかと。
 「北枕」は月の引力で、頭の血が足に引っ張られ安眠できるらしい。武士はそれを知っていて、庶民に逆を教えたのではないか。武士は、襲撃に備えて、床の間の刀をさっと取る必要がある。床の間を北に作り、頭を北に向ける。東は短命、南は病気、西はお釈迦さんの寝た方角だが、これは学校では教えてくれなかった。学ぶ内容が多すぎた。番長にも殴られそうになる。それは徒党を組み、暴力で支配する社会構造に対する練習だった。北前船が昆布を大阪へ運び「ばってら」になった。伝統の京懐石、お鮨(すし)、そば、うどん、マツタケ土瓶むし、にんにくとオリーブオイル、大吟醸にワイン、ウイスキー。グラスを手に雪を眺め、山のウサギはどうしているか。干支(えと)が兎(うさぎ)だから。
 墓の無いことを「はかない」というらしい。ピラミッドくらい大きい墓を作らないと後世に残らないのか。吉田松陰には神社がある。
 散骨が奨励されるかもしれない。
 「宇治川先陣争い」の名馬「池月」(いけづき)と「磨墨」(するすみ)。「池月」は母馬を早く亡くし悲しくて池で泳ぎ続け、筋肉を鍛えたという。見事だ。あっぱれだ。苔を集め、薔薇(ばら)を育て、蘭(らん)や菊を愛(め)で、鳥にも心を驚かす。ここで下手の横好きについて書いておきたい。囲碁も将棋も習い事も、初心からすこし上手(うま)くなる頃(ころ)が一番楽しいと。下手の横好き大賛成。「高砂や、四海波静かにて、はや住之江に着きにけり」。

2013年5月8日水曜日

最近見た夢

最近見た夢
 

 ①土手の上を自転車で走っていると海岸に出る。白い橋があり、橋に乗ると帰れない仕組みだ。
 わかっていて少し行くと、やはりこんにちはといって男が出てくる。
 笑っている男は信用できん。怖い顔でにらむと、そう頑張らんでも、わかっとるよ。僕の書いた詩がにせものだと言う。本当に鶏のよし子さんなんていたのかね。
 国語の教科書がはるおさん、よし子さんだった。いとこにもいたよ。弁解をしている。むきになって反論するのは怪しい、という。
 これが初夢。怪しくたって本当だから、と目がさめた。

②小川のそばを歩いていると、白い風呂敷が置いてある。風呂敷は「踏んだな」。という。ああ踏んだ。踏んでしまったら踏んだ踏んだと言いふらして、僕を困らせるのだろう。
 そういうと。そのとおりです。ここが入り口です。ぱっと視界が拡がって、暖かな春の雲の中を飛んで、空が光っている。これが空を飛ぶということか。すると急に寒い風。冷気の気流の谷間へ落ちる。背中が寒い。そこで目が覚めた。シーツに足が絡んでいる。背中が出ている。起きなくちゃ。起きなくては。いくつになっても親に叱られる。

 春の日に、東大寺の鐘を一人で撞いている。すごく気持ちが良くて、鳴らし放題。鳴らすことをみんなが認めて拍手する。ひょっとして僕は全国に大号令をかけてい
て、大変な地位に昇って、こりゃあ、えらいことになった。いくらなんでもこれはきっと夢だろう。しかし、これはひょっとして本当ではないか。そこで目が覚めて、朝ご飯を食べながら、ひょっとすると僕は大変なお金持ちになるかも知れないと息子に言った。するとせがれは、そういう夢を見るにはどうすれば良いのか、教えてくれ、と言う。

 後輩の白いスバル・レガシイの助手席に乗って、踏み切りにきた。おいおい一旦停止だ。大丈夫ですよ、こんな田舎に、電車はきません。おいおい危ないぞ。おい電車がきた。目の前に銀色の機関車が急に現れる。ほらみろもうだめだ。後輩は必死でハンドルを切ったが、バンパーが引っかかって、線路沿いに引っ張られていく。
 ああもうだめだ。すると車が電気機関車から外れた。よし、今だ。僕は右手で思いっきりハンドルを切った。するとありがたい、右側に細い道がある。黄色のヘルメットの作業員がこちらを見ている。作業員はきっと家に帰るから、道はどこかに続いている。しかし道はだんだん狭くなり、突然青い看板が出ている。右は、お台場、左は碑文谷とある。ひもんや。
 しばらく走っていると(環7)だ。そこの車止まりなさい。パトカーに止められて、あなたを捕まえることになっている。
 降りなさい、しかし、鉄道の線路に続く道を偶然発見した。交番を探していたのですが、これで安心、交番へ行く必要がなくなった。僕は運転していないし。すると警官は、げらげら笑って「うそばっかし」という。僕は下を向く。元旦の朝の初夢。

富山の運河

富山の運河にかかる橋をみていたら過去のことを思い出した。

驚いたこと
① 四十年以上前になるが、世田谷の親戚から受験生の私に手紙が届いた。電車は難しいから、東京駅からバスに乗りなさい。緊張して東京駅に着いた。乗客は下へ下へ、階段を降りる。わが故郷の駅は、ホームから階段を昇る。雨の八重洲口で数百台のバスを見たときは脳みそがしびれた。バスは、エンジンがかかっているのに動かない。田舎のバスはエンジンがかかれば発車するのだ。
 バスのドアを叩く。「等々力(とどろき)行きはどれですか」「知らない」
運転手さんは、ひどく無愛想だ。1時間後ようやく見つかった。世田谷まで2時間、夕暮れになっていた。小学校の京都修学旅行とほぼ同じ時間。    東京は広い、知らねばならぬ。翌日から探検を開始した。
 都会は驚きの連続だった。並木に沿って歩くと田園調布駅。日本一の高級住宅街。木々に囲まれた洋館。プラモデルで見た英国の名車ジャガー、ドイツのポルシェ、2台もガレージに並んでいる。
 兄は先日やっと軽のスバルを月賦で買ったというのに。
 勝手口から大きな白い犬と娘さんが出てきた。正門から黒い車が出て来た。運転する人は白い手袋、まるで映画だ。主人は貿易商か、明治の元勲。すれ違う小中学生の制服は濃紺で靴はピカピカ。
 荷車もリヤカーも通らない。歩道の花壇に綺麗な花が咲いていた。
白熊のような犬はふさふさで鼻筋がすっきりしている。わが故郷にも、名前こそジョンや、ロバートと呼ぶ犬はいたが、だらしない顔だった。
/我家の屋根は高くそらを切り/その下に窓が七つ/小さい出窓は朝日を受けて/まっ赤にひかって夏の霧を浴びている/
 高村光太郎の「我家」という詩の冒頭。光太郎は幸福の絶頂だった。
 3月の大地震と大津波で、肉親や友人を亡くされた方、家や思い出の品、仕事を失い、避難所で不便な日を過ごして。病気の老人、着替えもままならぬ生活。歯ブラシ一本、洗面の水、トイレに行く何気ない日常のありがたさ、しみじみ感じている。

 驚いたこと②
  東京の国電にトイレが無いのは恐ろしいことだ。あれほど多くの人々がすし詰めで運ばれ、腹の具合が悪い人がいないとは。電車で病院へ通う人もいるはず。病院の待合室で、気分が悪くなり耐え切れずに、ベンチに横になる人がいる。
 この都会では、手術を受ける人は、ハイヤーで行くのか。高見順が病院へ行く日、電車に乗っている詩がある。

 /電車が川崎駅にとまる/中略/私は病院へガンの手術を受けに行くのだ/中略/さようなら/「青春の健在」帰れるから/度は楽しいのであり/旅の寂しさを楽しめるのも/わが家にいつかは戻れるからである/
 「帰る旅」
 

 入学式の朝、総武線の水道橋駅か市ヶ谷駅、腹が痛い、電車を降りた。駅員さんに聞くと、トイレは、ずっと向こうのホームの端、工事中の鉄の階段を降り、いけどもいけども到着しない。絶望寸前まで追い詰められ、1つだけ個室があり、ぼろぼろのドアが閉まっていた。取っ手も曲がっている。  
 私は、全力で、猛然とドアを引っ張った。故郷の駅では、未使用中ならドアが閉まっている。入学式の欠席は入学の意思放棄とみなされる。

 つまり、これまでの努力がすべてパーになる。冬の夜の受験勉強も、親がくれた背広も、ひとたび黄変すれば、式に出られない。
 左足を壁にかけ、腰から全力で引っ張った。あれだけ全力を出したのは後にも先にもあれが最後だ。しかし東京の駅のトイレは、未使用中は開いているのである。やがて、どんどんという激しい音と「馬鹿やろう」「ふざけやがって」怒鳴り声と共に男が出てきた。「お前、馬鹿か」。しかし、その瞬間私はドアの中に入り、間一髪だった。1ヵ月、腹の調子が悪かった。
 今は誰も信じてくれないが、やせて神経質なハンサムボーイだったのである。やがて6月にはデパートのトイレも覚え、電車の中で傘をたたむ余裕も見せた。ただしハンカチ、鼻紙はいつも忘れなかった。

 驚いたこと③
 駅のホームで、旧知の大学教授夫妻と会う。「私たち、法事で東京へ参りますの」楽しい雰囲気。特急に乗ると偶然にも座席は前後だった。先生は、奥様と相談して「きみ、席をくるりと回せ、今度、漱石の初版本を」と誘ってくれた。鯖江、武生、敦賀とも乗客は無く、先生は上機嫌、奥様は、お疲れ、うつらうつら。先生はわがまま、好きなことには
熱中するが、嫌いなことは断固拒絶する。
 列車は米原に着いた。私は若く、階段を二段ごと駆け上がるほど。先生ご夫婦も仲良く、膝を痛めておられる奥様をかばい、ゆっくり乗り換え。新幹線が着く。先生と同じ車両、席も前後である。空席が多いが名古屋から混む。「福井で切符を買うと同じところに固まるから、あちこち福井弁で、福井がそのまま移動してくる。それでえエ、ほやのう、福井弁がやたら響くんだ。あはは、さあさ、こっちこいよ、今日は愉快だ」
 先生は、車内で子供やご婦人がわあわあしゃべるのが大嫌い。列車は名古屋に到着。
 先生は古書自慢「この前、北村透谷の」その時だった。ワイワイ騒ぎながら七十代の女性が、たくさん乗り込んできた。ホームにもあふれている。先頭が私の頭上で大きな声を上げた。どいてください。私の席ですから。「え、なんだい」先生はにらみつけた。「どいてください早く」。
 私は「席は何番ですか」「〇の〇〇のD席」私の座席番号と同じだ。私は切符を見せて「そちらが間違いですよ」。先生は「そうだよ」
 するとリーダーはくるりと振り返り、「この列車は違う。全員降りて、さあ降りて」みんなすぐに下車した。先生は、「最近は、ああいうやからが多い。おっちょこちょいだ」。
 まもなく車掌が検札にきて、「お客さん、この切符は後ろからくる列車ですよ」一番前の車両に移動させられた。
 先生はその後二十年間、何度も何度も笑い転げた。あのご婦人たちの旅はどうなったのか。

 驚いたこと④
 最近、頭をカラスに蹴られた人がいる。近くに巣があり、攻撃的になるらしい。私も激しい威嚇を受けた。鳥類憐れみの令があるから、弓矢や光線銃などで報復はできない。畑に金色のテープを張り、麦藁帽子に針金を植え、自己防衛した。
 朝からぎゃあぎゃあ騒ぐ、たのむから静かにして欲しい。我々は金や名誉、おいしいものには関心を持つが、さすがにカラスは食べない。職場で「おいしい魚を食べる会」をつくり、民宿へ行ったことがある。
 上司が魚釣りの極意を披露する。まず自分を石と思え、動いてはならぬ。あいつらは目が良い、ちゃんと見ている。絶対に音を立ててはならぬ。夕食に「船盛り」。大皿に動いているイカ。今にも皿から這い出すようだ。エビやヒラメの中央に大きな「ヒラマサ」の活き造り。青く大きな頭。「ブリ」と「ヒラマサ」の違いを、またも上司は解説した。
 私は乾杯の準備をしていた。上司は、徳利から熱い酒をヒラマサの口に注いでいる。「これが一番喜ぶ」そして、人差し指を魚の口に近づけた。

 「ほれほれ」その時、ヒラマサがちらりと視線を動かしたように思った。瞬間ばくっという重い音がした。ヒラマサが上司の指にかぶりついた。
 上司は魚の頭を持って立ち上がった。刺身やサザエは座敷に散乱し、包帯だ消毒だとみんな右往左往した。その隙にイカがいなくなった。やがて机の下からほこりまみれで恥ずかしそうに出てきた。
 洗ってきますか、みんな迷った。その夜、民宿の主人から説教された。命をもてあそんではならぬ。そういうお客が時々咬まれる。

 我々も神妙な顔つきだった。反省を込めて「ヒラマサ」の会はすぐに解散した。実は、その後、昼休みになると廊下に集まり大笑いしていたのだ。 
 「罰当たり」と叫んで、魚の頭をつかんで立ち上がる場面でいつも喝采を浴びていたが、とうとう上司に見つかったのだ。


2013年5月7日火曜日

2013年5月5日日曜日

子どもの日

5月5日
一番うれしい
日本の休日
風はそよそよ
薫風だ
こいのぼりが泳いでいる

男の子が生まれると
こいのぼりが届く
電信柱をもらってきて
父は孫が生まれたとき
ものすごくおおきな
こいのぼりをあげた
国道から実家を見ると
大きなこいのぼりが泳いでいた

40年たって
その子も大きくなって
家を出た

2013年5月4日土曜日

あおぞらのもと

エビ、イカ、カルビ、ホルモン、トウモロコシ
焼きそば、つぶ貝、サザエを焼く
炭はマレーシヤ製で
なかなか火がつかない
いったん燃えればすごい
車庫に国産の高級炭があった
10年前に池田の林業家からいただいた
なつかしい白い灰
子供たちは腹いっぱいで
もう食べられない
それじゃあ
そそくさ帰って行った

2013年5月2日木曜日

備前か唐津の

渋い焼き物が欲しい
備前の重いツボ

志野もいいな
織部もいいな

古陶磁
息吹を感じて

五月を生きる


2013年5月1日水曜日

親は死ぬ

寒い朝に
冷たい雨が降って
ゆうじんの
親が死んでいる
親は死ぬさぞかし
ゆうじんはつらかろう
ゆうじんは60歳だが
私の場合は27歳の別れだった
といっても
意味はないか