2013年5月8日水曜日

富山の運河

富山の運河にかかる橋をみていたら過去のことを思い出した。

驚いたこと
① 四十年以上前になるが、世田谷の親戚から受験生の私に手紙が届いた。電車は難しいから、東京駅からバスに乗りなさい。緊張して東京駅に着いた。乗客は下へ下へ、階段を降りる。わが故郷の駅は、ホームから階段を昇る。雨の八重洲口で数百台のバスを見たときは脳みそがしびれた。バスは、エンジンがかかっているのに動かない。田舎のバスはエンジンがかかれば発車するのだ。
 バスのドアを叩く。「等々力(とどろき)行きはどれですか」「知らない」
運転手さんは、ひどく無愛想だ。1時間後ようやく見つかった。世田谷まで2時間、夕暮れになっていた。小学校の京都修学旅行とほぼ同じ時間。    東京は広い、知らねばならぬ。翌日から探検を開始した。
 都会は驚きの連続だった。並木に沿って歩くと田園調布駅。日本一の高級住宅街。木々に囲まれた洋館。プラモデルで見た英国の名車ジャガー、ドイツのポルシェ、2台もガレージに並んでいる。
 兄は先日やっと軽のスバルを月賦で買ったというのに。
 勝手口から大きな白い犬と娘さんが出てきた。正門から黒い車が出て来た。運転する人は白い手袋、まるで映画だ。主人は貿易商か、明治の元勲。すれ違う小中学生の制服は濃紺で靴はピカピカ。
 荷車もリヤカーも通らない。歩道の花壇に綺麗な花が咲いていた。
白熊のような犬はふさふさで鼻筋がすっきりしている。わが故郷にも、名前こそジョンや、ロバートと呼ぶ犬はいたが、だらしない顔だった。
/我家の屋根は高くそらを切り/その下に窓が七つ/小さい出窓は朝日を受けて/まっ赤にひかって夏の霧を浴びている/
 高村光太郎の「我家」という詩の冒頭。光太郎は幸福の絶頂だった。
 3月の大地震と大津波で、肉親や友人を亡くされた方、家や思い出の品、仕事を失い、避難所で不便な日を過ごして。病気の老人、着替えもままならぬ生活。歯ブラシ一本、洗面の水、トイレに行く何気ない日常のありがたさ、しみじみ感じている。

 驚いたこと②
  東京の国電にトイレが無いのは恐ろしいことだ。あれほど多くの人々がすし詰めで運ばれ、腹の具合が悪い人がいないとは。電車で病院へ通う人もいるはず。病院の待合室で、気分が悪くなり耐え切れずに、ベンチに横になる人がいる。
 この都会では、手術を受ける人は、ハイヤーで行くのか。高見順が病院へ行く日、電車に乗っている詩がある。

 /電車が川崎駅にとまる/中略/私は病院へガンの手術を受けに行くのだ/中略/さようなら/「青春の健在」帰れるから/度は楽しいのであり/旅の寂しさを楽しめるのも/わが家にいつかは戻れるからである/
 「帰る旅」
 

 入学式の朝、総武線の水道橋駅か市ヶ谷駅、腹が痛い、電車を降りた。駅員さんに聞くと、トイレは、ずっと向こうのホームの端、工事中の鉄の階段を降り、いけどもいけども到着しない。絶望寸前まで追い詰められ、1つだけ個室があり、ぼろぼろのドアが閉まっていた。取っ手も曲がっている。  
 私は、全力で、猛然とドアを引っ張った。故郷の駅では、未使用中ならドアが閉まっている。入学式の欠席は入学の意思放棄とみなされる。

 つまり、これまでの努力がすべてパーになる。冬の夜の受験勉強も、親がくれた背広も、ひとたび黄変すれば、式に出られない。
 左足を壁にかけ、腰から全力で引っ張った。あれだけ全力を出したのは後にも先にもあれが最後だ。しかし東京の駅のトイレは、未使用中は開いているのである。やがて、どんどんという激しい音と「馬鹿やろう」「ふざけやがって」怒鳴り声と共に男が出てきた。「お前、馬鹿か」。しかし、その瞬間私はドアの中に入り、間一髪だった。1ヵ月、腹の調子が悪かった。
 今は誰も信じてくれないが、やせて神経質なハンサムボーイだったのである。やがて6月にはデパートのトイレも覚え、電車の中で傘をたたむ余裕も見せた。ただしハンカチ、鼻紙はいつも忘れなかった。

 驚いたこと③
 駅のホームで、旧知の大学教授夫妻と会う。「私たち、法事で東京へ参りますの」楽しい雰囲気。特急に乗ると偶然にも座席は前後だった。先生は、奥様と相談して「きみ、席をくるりと回せ、今度、漱石の初版本を」と誘ってくれた。鯖江、武生、敦賀とも乗客は無く、先生は上機嫌、奥様は、お疲れ、うつらうつら。先生はわがまま、好きなことには
熱中するが、嫌いなことは断固拒絶する。
 列車は米原に着いた。私は若く、階段を二段ごと駆け上がるほど。先生ご夫婦も仲良く、膝を痛めておられる奥様をかばい、ゆっくり乗り換え。新幹線が着く。先生と同じ車両、席も前後である。空席が多いが名古屋から混む。「福井で切符を買うと同じところに固まるから、あちこち福井弁で、福井がそのまま移動してくる。それでえエ、ほやのう、福井弁がやたら響くんだ。あはは、さあさ、こっちこいよ、今日は愉快だ」
 先生は、車内で子供やご婦人がわあわあしゃべるのが大嫌い。列車は名古屋に到着。
 先生は古書自慢「この前、北村透谷の」その時だった。ワイワイ騒ぎながら七十代の女性が、たくさん乗り込んできた。ホームにもあふれている。先頭が私の頭上で大きな声を上げた。どいてください。私の席ですから。「え、なんだい」先生はにらみつけた。「どいてください早く」。
 私は「席は何番ですか」「〇の〇〇のD席」私の座席番号と同じだ。私は切符を見せて「そちらが間違いですよ」。先生は「そうだよ」
 するとリーダーはくるりと振り返り、「この列車は違う。全員降りて、さあ降りて」みんなすぐに下車した。先生は、「最近は、ああいうやからが多い。おっちょこちょいだ」。
 まもなく車掌が検札にきて、「お客さん、この切符は後ろからくる列車ですよ」一番前の車両に移動させられた。
 先生はその後二十年間、何度も何度も笑い転げた。あのご婦人たちの旅はどうなったのか。

 驚いたこと④
 最近、頭をカラスに蹴られた人がいる。近くに巣があり、攻撃的になるらしい。私も激しい威嚇を受けた。鳥類憐れみの令があるから、弓矢や光線銃などで報復はできない。畑に金色のテープを張り、麦藁帽子に針金を植え、自己防衛した。
 朝からぎゃあぎゃあ騒ぐ、たのむから静かにして欲しい。我々は金や名誉、おいしいものには関心を持つが、さすがにカラスは食べない。職場で「おいしい魚を食べる会」をつくり、民宿へ行ったことがある。
 上司が魚釣りの極意を披露する。まず自分を石と思え、動いてはならぬ。あいつらは目が良い、ちゃんと見ている。絶対に音を立ててはならぬ。夕食に「船盛り」。大皿に動いているイカ。今にも皿から這い出すようだ。エビやヒラメの中央に大きな「ヒラマサ」の活き造り。青く大きな頭。「ブリ」と「ヒラマサ」の違いを、またも上司は解説した。
 私は乾杯の準備をしていた。上司は、徳利から熱い酒をヒラマサの口に注いでいる。「これが一番喜ぶ」そして、人差し指を魚の口に近づけた。

 「ほれほれ」その時、ヒラマサがちらりと視線を動かしたように思った。瞬間ばくっという重い音がした。ヒラマサが上司の指にかぶりついた。
 上司は魚の頭を持って立ち上がった。刺身やサザエは座敷に散乱し、包帯だ消毒だとみんな右往左往した。その隙にイカがいなくなった。やがて机の下からほこりまみれで恥ずかしそうに出てきた。
 洗ってきますか、みんな迷った。その夜、民宿の主人から説教された。命をもてあそんではならぬ。そういうお客が時々咬まれる。

 我々も神妙な顔つきだった。反省を込めて「ヒラマサ」の会はすぐに解散した。実は、その後、昼休みになると廊下に集まり大笑いしていたのだ。 
 「罰当たり」と叫んで、魚の頭をつかんで立ち上がる場面でいつも喝采を浴びていたが、とうとう上司に見つかったのだ。


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