2015年5月31日日曜日

廊下の

灯りがふらりふらりと
ゆれて
震度3とかいうが

関東では5強
3.11に次ぐ
変な地震が起きた

深いところで発生して
日本全部が揺れたと
六本木の高層ビルでは
エレベータが停まって
2時間ほど地上に降りられず
行ったことがあるが
階段はないのだろうか
奄美の方では噴火
関東では地震

暑い日寒い日
どうなっているのか

2015年5月30日土曜日

手を借りる

本箱を移動することになり
一人では無理で
手を貸してほしいと頼みに行く

頼む先は3つ
まず隣の部屋の職員
しかし別会社の人だから
筋が違う

それじゃあ合併した本家に
それが本筋だが
離れていて付き合いも薄い

最後に近くて所属も違うが
怒ったりわめいたり
冷房を入れる順で困らせたり
わがままを言って
昔から付き合いがある
建物管理の部署

やはり頼もうかな
と思って外へ出ると
仕事を終えて帰路に就く
屈強な人がいて
「チョットくらいなら手伝ってやるよ」
ありがたい
お言葉に甘えることにした

昔の日本には存在した
「チョットくらいならいいよ」という概念
今の若い人にはない
しかしまてよ
帝国陸軍の思想かもしれない

いまや廃棄資料に触っただけで
安い派遣職員に格下げされるらしい
単純業務と専門業務

コーヒーがこぼれても机を拭かない
そういう契約ではない
テレビドラマのような世界
目の前にある
うそのようなホントの世界

2015年5月28日木曜日

夜がまた来る

小林旭

夜がまた来る
思い出連れて

俺を泣かせに
   足音もなく

何をいまさら
つらくはないが

旅の明かりが
遠く遠く潤むよ

昨日夢を見た
国際大学院大学を創る場所に
わたしは座っていた
目の前に大きな男がいて
机の下には旅行カバンが並んでいた

その男はポンと小さな箱をくれた
データはここにあると

何とも言えぬ空気
ああまたもや
こんなところに来てしまって

というところで
朝になった

2015年5月27日水曜日

33度

33度の気温
まだ5月というのに

やっぱり
地球がおかしい

インドの熱波も
この国の気温も
異常だ

33度になるためには
炎天では40度にもなり

気温と水温が上がり
冷房がいる

3月に寒い日があって
灯油を買いに行った
まだ玄関に置いてある

というのに

2015年5月25日月曜日

また地震

また地震だ
茨城震度5弱

震度2でも
ぐらっと
怖いのに震度5なんて
たまらん

3月11日の地震以来1000回くらい
起きているはず

これが静岡沖から和歌山沖
高知とつながって
日本が半分に割れて
しまうのでは
ないか

収まってほしい
静かにしてほしい
騒がないで

2015年5月24日日曜日

陶芸まつり

天気が良いので
堆肥とジャガイモの作業を終えて
「陶芸まつり」へ行く

いるわいるわ
人がいっぱい

「そば」を頼んで
イカ焼きを食って
テーブルに相席
私を知っているという人が来たので
あわてる

帰りのバスでは
親しくしていた仕事先の先輩
やあといって乗り込んでくる

知人が2~3人いたようだ
なかなか盛り上がる良い大会
帰りは 2カ所の神社をめぐる
夕方に散髪

蚊が

暑くて蚊が出てきた

周りの水回りを点検して
落ち葉を拾って乾燥させる

堆肥の周りを重点的に
ビニールで覆って

蚊は私の血を求めてくる
しかし人の血を吸ったら最後
死ぬらしい

1年に4回ほど刺される
それ以外は連戦連勝

黒い服に飛んでくる
血を探して飛び回る
私はあたりに息を吹きかける
2酸化炭素と私の甘い口臭
体温と私の体臭
休日の朝のボルドーとフロマージュの発酵
わが家の蚊は迷いに迷い
その困惑の一瞬を軍手でなぎ倒す

私の攻略法は以上です

2015年5月22日金曜日

風が寒い

アダムス・ファミリーを観ていたら
奄美で震度5弱
画面に
加計呂麻島がでてきた
島尾敏雄が震洋で

ベニヤ板ボートで体当たり
特攻作戦で潜んでいた島
揺れているだろう

チャンネルを変えると
24時間の六本木
横須賀の米海軍、シリア、レバノン、トルコ、アメリカ
ケバブを食べにやってくる
日本が好きだ
刺青
アメリカなら撃たれるが
ここなら安全だと

4年に一度の

4年ぶりに
昔の同僚に会った
なつかしい
むこうもすこし
歳をとって

少しだが
性格も
まるくなったように
思えた

またどこかで会おう
手を振って別れた
4年に一度くらいが
ちょうど良い
のかもしれない

2015年5月20日水曜日

たからもの

優しい人柄
穏やかな礼儀

健康な体
柔軟な姿勢

柔らかな口あたり
静かな視線

堅い約束
まっすぐ歩く決意

軽い午後
さわやかな会話

緩やかな坂道
ほのぼのと交わすぬくもり

夕暮れ
夕立ち

2015年5月19日火曜日

何か変で

昨日
つくりながら
寝てしまった
この文

閲覧者数が52だというが
なんか変だ


なんで52人も
見に来るのか




2015年5月18日月曜日

送別会


昔はよかった
つまり送別会は

送る側も送られる側も
みんな
それなりに楽しかった

最近は
面白くない場合は
欠席



2015年5月17日日曜日

切り返し

去年の腐葉土の箱を開いて
新しい箱に移す

上の部分が
今度は下になるから
上下切り返し

湯気が出ている
温かい
発酵している熱

暑い日だったが
湯気が出ている
すごいものだ

途中で金柑の枝が出てくる
腐敗していない
青々している

午前中では終わらない
また明日

2015年5月16日土曜日

ゴーヤ

さあ畑をひと畝
ゴーヤを植える
ます棚を組んでネットを張って

ついでに
とげなし山椒を買ってきた
初めての店で
絹ごしとうふ
買った
これが
おいしかった

きゅうりが実った
まず最初の収穫
それに さやいんげん

韓国唐辛子の苗を2本
シェルビー・コブラのできるまで
300キロを出す車の映像を見る
所ジョージが所有してる

2015年5月14日木曜日

28度9分

今日の気温
どうかしている

夏の
それも真夏の季節

そのせいか
今日は異動の内示があり
次々と呼び込みがあった
去る人
今度来る人
いろいろ

やり残した仕事
知らん顔で出ていく人
いるだろうし

やがて数年後には
全部いなくなって
新人が入ってくる
やがて梅雨になる

2015年5月13日水曜日

五月の台風

蒸し暑い

窓を閉めて
強風注意の貼り紙

窓ガラス
みしみし音を立てて
窓枠が
メリメリと膨らむ

今日は歴史的な日

例えて
研究所を創設しろという命令が出て
必要な仕事量を出し
職員数を割出しアルバイト賃金や備品購入費
旅費などを算出し
課に2つの係制を導入して必要経費を割り出す
課長と補佐、主任と係長

私は退職
するとまもなく制度改革
いろんな過去の
なつかしい思い出は
消えて研究所は廃止
それとよく似たことが
起きた日













































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































2015年5月11日月曜日

朝起きて

ジャガイモの草むしり
土は
ほんのり温かい

箱根の大涌谷は燃えている
台風が来ているぞ
5月の連休明けなのに
もう7号とは

昔の稲刈りは10月で
夏の終わりは寒く
やはり台風が来ていた

あの空を思い出す
両親も健在だった

なによりも
自分も若く
幼すぎた

2015年5月10日日曜日

枯葉の収集

椎の木や木犀に
鮮やかな若葉が茂り
古い葉は落ちて
乾いて飛んでいくか
朽ちて土に戻る

その前に集めて
車のトランク4台分
箱に入れて来年の腐葉土にする
それでも5センチくらいの高さで畳半畳分くらい

葉っぱで土はできにくい
山が腐葉土でおおわれているが
あれは数百年も自分で肥料にして生きている

私たちも自分の肥料で
自分を生かしていく必要がある
学校ではなく自分で蓄えた知識

歴史、思想つまり哲学で
風景や芸術、宇宙を観ること
この地球上で得た小さな人生観

たとえば家庭が重要だ

東畑精一はドイツでシュンペータに師事
日本農民は地主から解放されても
独立して企業的に農業を発展させることは無理だ

未開発の国はみんなそうだ
21世紀なのに
いまもやはりそうだ

農地改革がうまくいっても
それは「日本農民的こころ」の結果であって
こころは徳川時代に作られたものだ

戦後農政のことなど
頭が横道へそれて
それでも私のこころは
指先で枯葉の中をさまよう
さわやかな風
薫風である

私も こうして生きている


2015年5月8日金曜日

都留重人自伝

いくつもの岐路を
回顧して

岩波の本
都留重人の自伝を読み返す

検挙されて中退
ハーバード
麦畑の展開する広いアメリカ
アメリカの友人たち

戦争
木戸内大臣
終戦
経済安定本部
吉田茂

シュンペータ教授、レオンチェフ、ハーバート・ノーマン、サミュエルソン
スウイージイ、ガルブレイス

この人は体力がある
一橋はてめえの母校ではないぞ
野次られている一橋大学長

学閥、学歴から公害まで
日本の国で生きた人
しみじみ思う

2015年5月7日木曜日

車を洗う

黄砂がやってきて
ゴビの砂漠

昔なら
シルクロード
ロマンがあって

長安どういう街か
洛陽
紙価を高めて

まあ本が売れることは
よいことだ

などと言っているうちは
よかったが連休も終わり

疲労と5月の風がすこし肌寒く
車を洗うことにした

日本車は壊れない
あんなに夜中びゅんびゅん走って
翌日はちゃんとしている

それが10年も継続している
たいしたものだ
だから黄砂を洗い落とす

これが春霞の正体だった
薫風のさわやかな春の日の

朧月夜だったが

2015年5月6日水曜日

駅前

動く恐竜を見ていた
ちょっと動きを止める
だから
何かするのではないか緊張した

連休の子供の日だ
二人若い女性が笑いながら
こちらを見ている

こちらはこれから1年ぶりで
高校時代の友人夫妻と会食する

少し寒いが草むしりもうまくいって
ジャガイモ育っているから何の心配もない

二人の若い女性
しきりに笑っている
何がおかしいのか
そういう時期もあるのだろう

私のズボンのチャックが
いわゆる社会の窓が
下界に向かって開いていた
のだ
ジュラ紀など知ったかぶりで
ほらを吹いていたら

シャツが出ていたのだ

2015年5月4日月曜日

つつじを求める

雪で折れた柘植を取り去って
3カ月も思案していたが
花は霧島
赤と白の鮮やかなつつじを
植えることにした

きれいなものを探して
隣りの町まで

人混み
つつじまつり大賑わい
通り抜けて
ピンクの「老いの寝覚め」
真っ赤な「調査中」
白い「暮れの雪」

霧島は久留米で改良したと聞いたが
煙草は国分

しろうとにはわからない
つつじはきれいで
それでいい
雨も降って

2015年5月2日土曜日

青葉

ケヤキが風に揺れて
若い葉がきらきら光っている

時折強い風が吹き
太平洋の真ん中の海洋性という
あのそよそよした空気
私の周りを巡る

そろそろ幼い子どもたちを連れて
若い両親は連休の雑踏へ出かける
汗ばみ 笑顔で

そこに 老人はいない
金子光晴は詩集「若葉のうた」を編んだ
それは孫の名前だったので
ああ あの金子でさえも 「韜晦」したと
みんな絶望したが
それは違う
いまようやく
その気持ちがわかる

青葉と若葉と
詩集の名前と孫の名前と
ごっちゃですまないけれど

5月の若葉を素直に喜び
生の嬉しさを味わう
雪の降る前に散り茶色にかわいた落葉は死骸で
少しの風で飛んでしまい
堆積している黒い腐葉土のうえで
若葉は枝に張り付いて繁る

それも一年経てば落葉になる
そういうことを
しばし忘れるということを
思い知ったのだ